君は月下此処は。

ただ息苦しいから、瞳を閉じた。 広がるのは重い重い闇、それから見える栗色の髪の毛、ふわふわと、空気を含んだ髪。 青緑の優しい瞳はしっかりと此方を捉えていて、その瞳の中にわたしがいるのだと思うと嬉しかった。 そう、それだけでよかった。 世界のために戦ったりしなくていい、ガンダムになんか乗らなくていい。 ただ、わたしの傍で笑ってくれていればよかったんだ。(だけど彼は戦いに赴いてしまう、わたしが引きとめても悲しそうに笑みを浮かべるだけで) 悲しかったといえば、悲しかった。 怖かったといえば、怖かった。 だけどそれをわたしが引き止めることによって見せるあの笑顔を見るのが、一番怖かった。 だから、手を離した。 必ず帰ってきてねと、必ず待っているからと。 最後のキスに全てを託して、彼の背中を見送った。 だけど、初めて彼はわたしに嘘をついた。 それを咎めることさえ、もう、できない。 ああ、世界が、暗いよ。

「リン、」

はっとした。 4年前よりトーンの低くなった声音、だけどあまり感情の起伏が感じられないところは変わっていない、その声にゆっくり振り返った。 見えた青年、朱色の瞳がわたしを心配そうに見つめている。 彼もまた変わってしまった、幼さの残る容貌はすっかり大人びたものに変わってしまって、未だに時折寂しさを感じる私は随分と親馬鹿よろしく刹那馬鹿なのだろうか。

「せ、つな」

「どうした?」

「…、別に」

脳裏に過ぎった優しい笑顔に、目の前の青年に彼のことを話すことなんてできなかった。 そっけなく返したのに、それでも刹那はわたしをじっと見つめている。 そのひたすらなほど真っ直ぐな瞳は、あの頃と変わっていない。 だけどあの頃必ず手の届く場所にいた彼は、もう、いないけれど。

「リン、これロックオンに持っていってくれないか?」

「…ロックオンに、」

「悪い」

手渡された数枚の書類を見れば、どうやら次の作戦内容らしいそれが書かれている。 無意識に視線を落としていたのだろうか、刹那が反射的に謝った。

「…わかった」

くるり、踵を返して彼のプライベートルームに向かう。 艦内は気味が悪いほど静かで、先ほどメインルームを出てくるまで聞こえていたフェルトの声も聞こえない。気味が悪いと、もう一度思惟してから背中に刹那の視線を感じつつも足を進めた。

こつん、響いた自分のヒールの音にすと瞳を細めて指先で扉を叩く。 暗いグレーの扉、開いた先にはきっと彼がいる。 だけど何処かでわたしは気付いていた、本当に本当に会いたいのは、彼ではなくて、

「(ニール)」

ライルに悪い気がしないはずがなかった。 容姿が同じで口調も同じで、だけどまったく違う双子の弟。 個人は尊重すべきだと誰か言っていたけど、わたしはあのとき刹那の奥に見えた彼にほんの僅かでも期待という言いようのない無駄な感情を抱いてしまった。 そこで気付いてしまうのだ、ライルが、ニールであればよかったのにと。 酷い女だ、醜い女だ、いくらいくら自分を罵ってもだけどわたしはニールに。

「…ロックオン?」

もう一度扉を叩いても返答はない。 不思議に思って(彼がこの部屋にいるのは確かなので)すぐ隣に設置されている手動のボタンを軽く押した。 ぷしゅ、と空気の抜ける音の後開く扉。 奥に見えたのは、質素なベッドの上で横たわるライルだった。

「…(寝てる)、」

規則正しく動く肩、疲れているのだろうかと近づいてみても起きる気配はなかった。 薄く開かれた唇は、閉じられた瞳は、シーツに落ちる髪の毛は、彼のものではない。 腰付近で止まっていたタオルケットをしっかりと肩まで掛けてやり、それからその空気を含んだ髪の毛にそっと触れる。 起きてしまわないだろうかという不安はとうに消えていた。 ただ、触れたかった。

「…ロックオン」

ロックオンロックオン、

ニール。

「ニール」


ごめんなさい、わたしはやっぱり、あなたがいないと、いきていけないみたい。


起きにくいったらありゃしねえ。 リンは普段のつんけんとした態度なんて思わせないようくらい、小さく小さく、静かに涙を零した。 ただ一言、兄さんの名前を呼んだきりぼろぼろ涙した。 本当はリンが部屋に入って来たときから目は覚めていた。 狸寝入りを続けてしまったばっかりに、こんな惨めな思いをしなきゃならねえなんて思いもしなかったけど。 ひたすらに涙を零して俺の放り投げられた手を掴む、その指はあまりにも弱弱しい。 彼女は今どんな顔をしているんだろう。 彼女は今何を思っているのだろう。

ああ。
ああ、兄さん。

「…ごめんね、ニール」

兄さんは罪を作りすぎた。












(罪作りな、だいすきなあなたへ、わたしは生きています)