聞こえていた泣き声が段々と小さくなっていって、スザクは改めて部屋の中を見た。手中の指先に先ほどのような弱いながらも握り返してくるような力はない。コンクリート張りの個室はまるでどこかに隔離されているような錯覚に陥って、こんなところでまさか寝起きするだなんて考えられなかった。傍にある小さな冷蔵庫を覗いても中には空のミネラルウォーターのペットボトルが数本放り込まれている。奥を覗くと小さな風呂場があった。小さなシャワールームと小さな湯船。ブリタニアでは湯船に湯を張る習慣はないが、その小さな浴槽には冷たくなった水が溜まっている。シャワーノズルさえも、黒ずんでいた。
の寝ているそこに戻ってくると、床には恐らく彼女が脱いだと思われる衣服が散乱している。モスグリーンの軍服はボタンが幾つか外れていたりと、このまま出勤できるようなものではなくなっていた。その脇に散らばっていた白の下着、血と、行為の痕がこびりついている。一昨日の夜の、の行動が瞼の裏に浮かんだ。

多分、は男達に行為を強いられ、夜遅くにここに帰ってきたのだろう。よろよろの身体で裸になり、汚された身体を洗い、傷を介抱しているうちに熱に襲われたのだ。腕や足を見たところ、酷い打撲がいくつかあった。そこから熱が生じて全身を巡って、多分のことだからまともな水分も取らずにこうして寝込んでいるのであろう。勝手に穢された身体を自らが介抱するしかない、この孤独は、きっとにしか分からない。一人で、痛みに耐えながら、きっと、泣きながら。寂しかったに違いない。

「…、」

この冷たい部屋で、はスザクとの行為のあと一人、泣いているのだろうか。自分が散々突き上げたこの小さな身体を自らで労わり、洗い、眠りにつくのだ。そう思うと、スザクは初めて胸が痛くなった。

しばらくその殺風景な部屋を眺めた後、スザクは少女からシーツを剥いだ。は着る服もないのだろう。下着に、薄い白のTシャツを着ているだけだった。シャツから伸びる白い脚もほんのり色づいて、しかし赤く腫れているところも多数あった。シーツと背中の間に手を差し込んでそのまま持ち上げればその軽さに目を見開く。初めてスザクがと出会ってその身体を抱き上げたときよりもずっとずっとの身体は軽くなっていたのだ。自分の腕の中に納まってしまう、小さな小さな身体。汗ばんだ真っ赤な頬を撫でて、の上に自分の上着をかけてやる。スザクは静かにそこを後にした。

政庁の近隣にはブリタニア軍専用の医療施設があった。所謂軍事病院といったそこには作戦で負傷した軍人が何人も入院していて、急患で運ばれてくるものも少なくない。スザクはまずの熱を下げてやらねばと思った。それには必要な栄養と治療が必要だ。しかし軍事病院に行ったとして、がどうなるかだなんて分かりきったことだ。スザクが連れて行けば最初のうちこそ治療は受けられるだろうがその後は分からない。悪化させても困るだけだ。そうした考慮の中、スザクは病院ではなくて政庁内に設けられている小さな医務室へ向かった。病院に行くまでもない怪我を負った者が寄るところである。普段利用されることはあまりなく、需要が低いと思われているそこだがなくなることはなかった。

白い廊下をを抱えて歩くスザクの姿は少し異様だった。無論、の姿はスザクが上からかけた上着のおかげで晒されることはない。それでも伸びる白い脚により彼の腕の中に誰かいることだけは明白だ。ふと、スザクの聞き覚えのある声が響いた。

「スーザク!」

ジノ・ヴァインベルグである。少し先から来た彼はスザクの姿を確認すると嬉しそうに声をかけるがすぐにその腕の中の人物に気がついて神妙な表情をした。スザクは聞こえないよう舌打ちをして、足早にジノの横を通り抜ける。

「あ、ちょ、スザク」

ジノにの姿を晒す必要はない。ジノは何か言いたげな表情をしながらもすぐに消えていくスザクの背中に、小さく呟いた。

医務室には専属の医師が一人だけ、デスクに座っていた。彼女はスザクの姿を確認するとすぐさま立ち上がって敬礼をした。

「ちょっと見てもらいたいんですが」

彼女はソファーの上に置かれた少女の姿を見ると、すぐさま聴診器を耳に当てに近寄る。

「どうされました?」

「…たまたま覗いたら彼女もうこんな状態で、」

「ひどい熱ですね、少しお待ちください」

ひゅ、ひゅ、と息を続けるだけのはひどく苦しそうな顔をしている。心配にそれを見るスザクの横で彼女はいそいそと何やら医療具の準備を始めての服を捲くった。暫しの沈黙、聴診器を当て、咥内の確認をして彼女はスザクを見た。

「脱水症状を起こしています、さほど重いものではないのですが恐らく栄養失調が重なって症状が悪化したと思われます」

「…大丈夫なんですか?」

「はい、点滴を打ってしばらく安静にしていれば大丈夫です」

にっこりと人のよさそうな笑みを浮かべた彼女はカルテを取り出すとさらさらとペンを走らせる。

「病院の手続きはこちらで取っておきますので、彼女を搬送してもらいます」

「病院?」

「はい、ここの設備では点滴器材がないんです」

それは不味い、スザクは彼女のカルテを書く手を制止して額に手を当てた。

「どうにかここで点滴とか、できませんか?」

「…え、と」

少し困惑した表情を見せる彼女だが、一度とスザクを交互に見てから首を傾ける。

「器材の搬入は僕が許可するから、どうにかならないかな…」

「…搬入許可があれば出来ると思いますが」

「うん、それじゃ今すぐお願いします」

言えば彼女は慌てたように医務室を出た。普段仕事が回ってこないような彼女にいきなり仕事を押し付けるのは悪いような気がしたが今は緊急時だった。ソファーで眠るの息は依然荒い。点滴を打ち終わったあとは自室で寝かせようとスザクは思った。あの部屋は衛生的にもあまり今のにはよくないはずだ。今まで荒い呼吸を続けていただけのがふいに瞳を開けた。

「…くる、ぎ卿」



「ここ、は…」

いつもはスザクの姿を確認すると飛び起きるも意識のはっきりしない今はふやけそうな瞳で彼を見る。

「…医務室、が熱出したから」

「…もうし、…け、ござい、ま…」

途切れ途切れのの声はスザクの耳になんとか届いた。こんなときにまでは謝ることしか知らない。スザクは瞳を細めた。

「くるるぎ、きょう…」

はあ、とが苦しそうに固まった息を吐き出した。

「…ありがとう、ござい、ます」

が笑った、気がした。