ふと、目を覚ました。冷たいはずベッドは明らかに自分以外の体温があって、そうして目の前に安らかな寝顔があってスザクは一瞬思考回路を巡る。すぐにそれがと気づいて、次にいつまでもを抱きしめている自分に気がついた。チェストの上のデジタル時計はまだ明け方の4時を指していた。出勤までにはまだまだ時間がある。もう一度眠りにつこうと思って、スザクはふいにを見た。先ほどよりは随分落ち着いた様子のの寝顔はあまりに無防備で、思わず頬に手を伸ばす。す、と撫でると汗ばんでいたはずの頬も少し熱いだけの柔らかいものになっていて熱は下がったのだろう、と思案した。このままの体勢で寝てしまおうか。がおきたときの反応が目に見えている。
「…、」
呼んでみても、返事はなかった。それを確認してからもう一度眠りにつこうとした翡翠は、目の前の長い睫が一瞬ふるりと震えたのを見逃さなかった。閉じかけた瞳を開けて、を見る。ふるふる、と震えた睫、そっと目の前の瞳が開かれた。
「…、」
薄く開いた瞼の奥にはまだ覚醒しきっていないのか、ぼう、とこちらを見つめる黒い瞳があった。数回瞬きを繰り返した後、はこれでもかというほど目を見開いてがばりといきおいよく起き上がる。
「く、くる、枢木卿っ!?」
の額に乗っていたタオルがぼとりとシーツの上に落ちる。しかし其れよりもこの状況を理解できないはまだ赤い顔をしたままベッドから飛び起きるが、そのあとすぐにふらりと揺れてその場に蹲った。当たり前だ、寝込んでいた上に久々に起きたと思えばいきなり飛び上がるのだから。未だこの状況を理解できないは申し訳なさげにスザクを見ると、申し訳ございません、と漏らした。
「あの、…、その…枢木卿…」
「何も覚えてないの?僕が部屋行ったこととか」
「枢木卿が私の部屋に、ですか?」
きょとん、とスザクを見るはどうやら何も覚えていないようで今自分がいるのがスザクの自室だと気づくと驚いたように身を縮こまらせた。スザクは面倒くさそうに起き上がるとが落としたタオルを拾う。まだ顔が赤いは熱が完全に下がり切っていないはずなのに申し訳なさげにベッドの脇にふらりと立った。軍人の性質だろうか、とろりと溶けそうな瞳もスザクを捕らえると真っ直ぐなものに変わる。
「西ドイツから帰ってきての部屋行ったら寝込んでたから」
「…はい」
「…、」
だから医務室にまで運んで点滴を打ってもらって挙句の果てに自室までつれてきた、とはスザクにはどうも言えなかった。よく分からないけど、悔しいような、を看病していた自分を彼女に告げることにどうも引け目を感じた。スザクはそこで口を噤むとチェストに置いてあった薬をに投げると飲んで、と小さく呟いた。
「あ、あの…」
「…」
「…ありがとう、ございます」
お水、お借りします、と消え入るように告げたはふらふらと取り付けられた小さな水道で薬をこくりと嚥下する。白い袋に入れられた薬が消耗されたのはこれで初めて、熱が下がりきるのはいつだろうとスザクはふと思案した。
「…」
薬を飲んではくるりとスザクに振り返る、もベッドで既に毛布を被ってしまった彼にが困ったような表情をしているのに気づけるはずはない。同じようにベッドの脇まで戻ったはうろうろとしてからもう一度スザクを見る。微かに聞こえる衣服の擦れる音にスザクはそっとに視線をやった。
「あの、枢木、卿」
「なに」
「…あの、その、」
はこれから自分がどうすればいいか分からなかった。今の今まで寝ていたベッドには既にスザクがいるし、まさかそこに堂々とまた寝入るわけにもいかない。しかし白いTシャツ一枚だけのはこれから自室に戻れることも出来ない、のその困り果てたような顔にスザクは何も言わなかった。
「なに」
「…その、私、枢木卿に、ご、迷惑かけてしまって…、」
「…」
「その……」
小さな手のひらがぎゅう、とシャツを握る。スザクはそんなの様子を冷めた瞳で見つめてからふうんと鼻を鳴らす。
「帰りたいの?その格好で?」
「…、こ、れ以上ご迷惑を、かけられません…っ」
「帰りたいなら帰ればいい、そんな格好で出歩くなんてどうかしてると思うけど」
冷たく言い捨てられた言葉にが唇を噛んだのを見えた。スザクとしてはさきほどのようにまたベッドに潜ってくれば良いのにがこんなことを言うのが分からなかった。しかしはで図々しいことはできないし、これ以上の迷惑もかけられない。確かにこんな格好で出歩くのは非常識ではあったが、仕方ないのだ。
「戻りたいのか戻りたくないのか、はっきり言わなきゃ分からない」
「…、ご、命令であるのならば…、も、戻ります…」
ふるふると白い太ももが震えていた。こんな格好で誰かに会えばどうなるかなんて眼に見えてた。せっかく少し回復したのにまた誰かに手を出されてでもしてみれば熱なんて一向に下がらないだろう。スザクは眉間に皺を刻んでから大袈裟にため息をついた。がびっくりしたように肩を揺らす。
「また手をかけさせるな、熱が下がるまで帰らなくてもいい」
「…あ、ありがとうございます」
くるりと体勢を変えてに背中を見せる。それでもベッドに戻らないで突っ立ったままのに痺れを切らしたようにスザクが口を開いた。
「また熱が上がっても困る、早く寝れば」
「はい、…あの、でも」
「このベッドはそこまで小さくない」
「…、はい、ありがとうございます」
そう言っては漸くベッドに戻ってきた。遠慮がちにそろそろとベッドに座ると、大きな毛布を少しも触れようとしないでそのまま横になった。ベッドの端の端で、今にも落ちそうな場所で小さく丸くなったは肌寒いというのに毛布はスザクに掛かっているためそのまま瞳を閉じた。暫くすれば小さな寝息が薄暗い部屋に聞こえる。スザクが静かにのほうへ身体を向けた。
「…、」
先ほどと同じように、はあどけない寝顔ですやすやと眠りに落ちていた。薄い肩も、細い太ももも全部剥き出しのままで、スザクはを見た。小さな身体がベッドから落ちてしまわないように自分の方へ寄せる。はぴくりと反応を示しただけで起きることはなかった。触れれば頬は熱いのに暖房もついてないこの部屋の空気に晒された太ももは表面が少し冷たかった。スザクは自分に掛かっていた大きな毛布をにも掛けてやってから、漸く瞳を閉じた。