その日スザクが目覚めても、やっぱり隣に少女が寝ていることはなかった。
はきっと熱が完全に下がりきっていないだろうに今朝から仕事に赴いているはずだ。少しだけ心配になったが、そう思う自分がどうも腑に落ちなくてスザクはすぐに目の前の書類を手に取った。事務的な仕事は憂鬱だ、ぱらぱらと内容に目を走らせて結局ペンを持たずにスザクは椅子に凭れる。やることがないと、どうも脳裏にのことが過ぎってしまう。彼女はまた、上官達に手を出されてはいないだろうか、そこまで考えてスザクは自分に慌てて言い聞かせる。そう、自分の所有物であるに手を出すことがただ単に気に食わないだけだ。誰だって自分の私物を壊されて、いい気はしないだろう。それと、同じなのだ。
「…、」
が笑ったのは、恐らく昨日が二回目だ。
のような一等兵の更衣室は非常に簡易で狭く、人気のない場所に設置されている。以前が携帯端末を壊されたというのもこの更衣室だ。昨夜から遠征に飛び立ったジノから書類を渡してほしいとの依頼をすっかり忘れていたスザクはやることもないのでふらりとそれを持って執務室を出た。そこで、その更衣室が自分の行く先の端に設置されているのを思い出したのである。、がいる可能性は限りなく低い。この時間彼女は一番動き回っている時間なのだ。そう思案してスザクは自分の前で敬礼した軍人を見た。
「(…あ、)」
頭を下げる軍人の奥、ちょうど廊下が少し開けたところで見知った少女が走り去ったのをスザクは見逃さなかった。何か荷物を抱えたは大急ぎ、といった様子で駆けていきすぐに見えなくなる。思わず彼女が行った先を角から覗けばやはりというかは更衣室に消えていった。この時間にここに訪れるのは珍しい、と思う。スザクは何も思わずにその前を通り過ぎようとした。いや、一度は通り過ぎた。ドアが閉まっているため中の様子は確認できないが、スザクのすぐ後ろからやってきた女性軍人が数人更衣室に入っていったのだ。彼女達の軍服を見れば階級が准尉であることがうかがえる。ということは無論、この更衣室は彼女達が利用するものではない。けれど数人を引き連れた女性軍人は当たり前のように更衣室に入って、そして消えた。嫌な予感がしないはずはなかった。思わず行った道を数歩引き返して更衣室の前で足を止める。なんとも滑稽な光景だろうとスザクは考えもしたが、中から聞こえた声に耳を澄ませた。
「…、」
は次々と入ってきた女性達に驚いたように腕の中の紙袋をぎゅ、と握り締める。先頭を切って入ってきた女性は綺麗な顔で歪んだ笑みを浮かべている。結局5人の女性軍人が入ってドアは閉められた。
「もう元気になったみたいで、何よりねぇ」
あざ笑うような声、は手中のそれに気づかれぬように顔を俯かせるもすぐに他の女性が前髪を強く引き上げる。痛みに唇を噛んだ。
「無断欠勤したと思ったら次はなに?それ、どうせ枢木卿のでしょう?」
両手で大事そうに抱えていたそれをあっさり指摘されては視線を下げた。スザクが昨夜に貸してくれたズボン、どうせ今夜も呼び出されることを知っていては持ってきておいたのだ。それが気に食わなかったのだろう、一番前の女性の表情がイラついたものに変わる。
「知ってるわよ?枢木卿に優しーく、看病していただいたんでしょう、貴方」
「まったくいいご身分ね、枢木卿を寝取っただけじゃまだ足りないの?情で引き込もうとしてるんでしょう、怖いわあ」
「は、イレブンの小汚い餓鬼が、調子に乗るのもいい加減にしたら?」
そう吐き捨て、の前髪を掴んでいた女性が思い切りそれを床に叩き付けた。抵抗する間もなく床に頭を強打させられ息を呑む。ぐらぐらと揺れる視界で自分の腕から落ちた紙袋を一人が拾い上げているのを見た。中を確認して眉を寄せる。紙袋から乱暴に出されたズボンは綺麗に洗濯も済ました後であった。
「これ?枢木卿のって」
「そうじゃない?まあ枢木卿も物好きよね、いくら同じイレブンだからってもう少しましな女がいるでしょうに」
「何を考えてるのかしら?よりにもよってこんな餓鬼だなんて」
額にぬるりとした感覚を覚えては血が出たのだと察した。
「ほら、枢木卿はユーフェミア様のこともあってご傷心中だから、人肌が恋しいのよ」
「そうねぇ、あれは堪えると思うわ、それで回りがよく見えなくてこんな餓鬼に手を出してみたのかしら」
「情、とかは?哀れなイレブンの餓鬼が惨めに思われたんじゃない?」
女性達の会話はいつしかを妬んでその延長線上の、スザクのことに発展した。彼女達から漏れるのはそのうちによくないことばかりになっていき、は思わず彼女達を見る。視線と視線がかち合う、這い蹲ると目が合った女性は挑戦的な笑みを浮かべてなあに?と言って見せた。
「何か文句あるの?枢木卿を見事寝取ったイレブンさん」
「…、く、枢木卿は、情けをかけたり、人肌が恋しい、わけでは、ありません…、わ、私が、枢木卿に…っ、」
彼女達の言葉はどれもあられもない嘘だった。けれどが口にした内容もまた偽りで、それでもにはこれ以上スザクを罵られることが耐えられなかった。嘘をついて、自分の立場を更に不利にしてまでが紡いだ言葉が彼女を苛立たせる。
「知ってるわよ、そんなこと、あんたが枢木卿に勝手に足開いてお気に入りにしてもらったんでしょ」
紙袋から零れたズボンを拾って女性の一人が笑みを浮かべた。今の今までそれを終始見守っていた扉側に一番近い女性がの目の前に出る。手には、紙コップ。前にいた彼女達のせいで見えなったが、その紙コップからはゆらゆらと真っ白な湯気が立っていた。
「私達が枢木卿のこと悪く言ってるみたいじゃない、何なの、それ」
「…っ、」
「枢木卿の肩持っちゃって、…―いい気になるなよ!」
彼女の指から紙コップが離される。宙に舞ったそれはにはひどく遅く落ちていくように見えて、中身がコーヒーだったということを認知させた。そうして熱々のコーヒーが入った紙コップは真っ逆さまにスザクから借りたズボンに吸い込まれていく。彼女達の口元には笑み、は目を見開いて思わず飛び出した。
「っあ!」
ばしゃり、熱湯のそれがの顎から首に掛けて降り掛かった。反射的に飛び出してしまったはそれを避けることも出来ずに低く呻いて再びその場に蹲る。しかし腕の中にはしっかりとズボンが納まっていた。あまりのの咄嗟の行動に彼女達は何を言うこともできずに床に這い蹲って痛みに呻くを見る。
「…っ、馬鹿じゃないの!そうやって痕に残るような傷つけて枢木卿に慰めてもらうんでしょ!」
痛みと熱さにの肩が不自然に震えている。リーダー格と見える女性は一番に踵を返すとそのまま部屋を飛び出した。さすがにこの行動には意表をつかれたらしい、と同時に衝撃と驚きだ。女性達は次々にをまるで汚物をみるような目で見てから同じように部屋から消える。ぱたぱたと遠くなっていく足音を耳にしては患部に触れてしまいそうになる手を必死に握り締めてゆっくり上体を起こした。手中のズボンは汚れひとつない、ほっと肩を撫で下ろす。そうして患部を急いで冷やさなければまた痕が残ってしまう。はふらふらと立ち上がって額の血を拭うと漸く更衣室から出た。