それから二日後、アタミ沿岸付近に赴いていた部隊が戻ってきたと聞いた。結果は一部鎮圧、黒の騎士団の抵抗が予想をはるかに上回った勢いでブリタニア軍が押されたことは事実だった。
僕はそれから二日間、夜の11時には自室でを待っていた。けれどが来ることはなかった。
知らせを聞いてから3日目、僕は政庁に設けられている司令部に向かった。軍人は階級も関係なく、戦場から戻ってきた際には政庁、またはその現場でICチップの入った身分証明カードを機械に通す決まりになっている。自分が無事戦場より戻ってきたということを記録するシステムだ。そのデータが保管されているはずのここで、僕はアタミ沿岸戦の生存者の記録を見た。何時間探しても、の名前はそのデータには残っていなかった。その足での自室に向かった。寒々しい部屋、ついこの間来た時と同じように鍵を差し込んで扉を開く。暗い部屋の中には、誰もいなくて、僕が最後この部屋を出たままだった。
4日目には、第四資料室に行った。そこで自分のデータが保管されている資料を探して、その履歴を調べた。確かについ最近、僕のデータには誰かが閲覧した履歴が残っていた。僕が西ドイツに赴いている間の日付だと、思う。

軍では個人を特定できない遺体、引き取り手がない遺体は地下の安置室に送られる。そこで5日間安置され、6日目には共同墓地へと移動させられることになっている。僕はただ単には身分証明カードを機械に通すことを、知らないだけだと思った。のことだからそういったシステムにさえ、疎いと思った。だから此処に来たことに意味があるとは、無論思っていなかった。
軍服でかろうじて階級を判断して、階級順に遺体が並んでいる。階級が高い者にはきちんとした棺が用意してあって、一等兵や二等兵の遺体には、シートが被せてあるだけだ。勿論ナイトメアに搭乗する階級の高い者の遺体は少ない。それだけナイトメア内は安全で、そして生き残れる確立が高いと言うことだ。一等兵の遺体が並ぶこの空間で、その数は一気に増えた。今回の沿岸戦で歩兵として赴いた一等兵は86名、生存者は11名、うち、女性は3人だけだった。そのどの三人の中にもはいなかった。一枚ずつシートを捲っていく。知らない顔、勿論僕はこんなシートの下にがいるだなんて毛頭思っていなかったから、安心も、緊張もしなかった。何も考えずに、シートに手を掛ける。何人目か、分からない。知らない顔をもう随分と見た頃だった。グレーのシートの下に、僕に似た栗色の髪の毛が一瞬見えた。一度瞬きをして、そのシートを捲る。

シートの下には、によく似た女の子が眠っていた。


シートの記された番号をパソコンに入力して、その女の子の名前を調べた。身元が分からない者には番号を入力しても名前は出てこない。エンターを押すと、ディスプレイには柊、という字が浮かんだ。


僕は、何も言わなかった。



僕はによく似た女の子の遺体を引き取った。綺麗に棺に入れてもらって、女の子を僕の部屋に入れてあげた。部屋の中は、静かだった。耳が痛いほどの、静寂である。僕はそっと膝を折って、女の子の顔を覗き込んだ。長い睫、白い肌、紫色の唇、この白い瞼の裏には、何色の瞳があるんだろう、と思った。
キスしようと思って顔を近づけても、薄く開いた唇から、温かい息が漏れることはなかった。

僕は初めて泣いた。



何も言わないを、泣きもせず、笑いもしなくなってしまったを、僕は綺麗なお墓を立てて、埋葬した。海の見える、誰にも気づかれない綺麗な場所だ。ここは誰も来ない、僕と、だけの秘密の場所になる。埋葬は一人でした、誰にもを見せたくなかった。僕だけのだから、僕だけの愛しいだから、僕だけの、たった一人の妹だから、僕が埋葬してあげた。墓石には枢木と、彫った。
帰ってきたら、我侭を聞いて欲しいと手紙に書いたくせに、結局はその唯一の我侭さえ、言わずに消えてしまった。部屋の主がいなくなったあの寒い部屋は空っぽになる。僕はの私物を全部引き取って、ひとつひとつ見てみることにした。
の私服は一枚しかなくて、地味なグレーのカーディガンと、ワイシャツ、黒のズボンだけだった。下着も、軍服も、数枚しかない。櫛も、手鏡も、タオルも、全部全部の匂いがした。の部屋に取り付けられている鏡を覗くと、がそこにいた。一度瞬きしてもう一度鏡を見ると、そこには情けない表情をした僕がこちらを見ているだけだった。自分の顔が、の面影を映していて、苦しくなる。

「あの子、なんかスザクにすごい似てたよな」

ジノがあの日、チェスの駒をその長い指で弄びながら継げた言葉が頭の中に反響する。ああ、鏡の奥の自分が、泣きそうにこちらを見ている。が、見ているようだった。のいなくなった部屋は、もっともっと寒くなって、僕は初めてこの部屋が怖くなって、けれどがたった一人で生きてきた部屋だと思って、その日だけ、そこで一晩を過ごした。



初めてを見たとき、彼女は上官達に暴行を強いられている最中だった。僕が助けてあげると、は信じられないような目をして、怯えながらも、僕に申し訳ございませんといった。の身体を開くと、彼女は泣いたけれど、抵抗はしなかった。携帯を渡すと、早速上官の女性達に壊されて、殴られて、は僕に初めて嘘をついた。は優しい子だから、僕に嘘をついた。なんで軍に入ったかと問えば、兄がいるからだと言った。は書類上だけの兄を探していた。ただ一枚の写真を信じて、軍にいたそうだ。僕が西ドイツに行くと決まると、は僕にどうかご無事で、と言った。は震えながら、僕の無事を祈った。帰ってくると、はあの寒い部屋で震えながら弱りきっていた。誰もを気にしてはくれない孤独と痛みの中で、は僕の手を握って、初めて子供のように泣いた。点滴を打ってもらって僕の部屋で一緒に寝た。の身体は、小さくて、脆かった。ズボンを貸すと、それを自分のことさえ省みずに、女性達からそれを守った。綺麗に洗濯された小さなズボンは、やっぱりの匂いがした。目隠しをして、暴力でを押さえ付けて身体をこじ開けると、は泣いて抵抗したけど、自分が悪かったのだと、嘘を訂正するようなことはしなかった。
そしてあの日、は初めて我侭を、ひとつ口にした。あんなの我侭でもなんでもない、キスをすると、すごく気持ちよくなって、僕は初めてそこでを愛しているのだと気づいた。は最後にありがとうございますと言った。


はきっと、自分が生きては帰って来れないことを分かっていたのだろう。最初で最後のキスだった。だから泣いていた、僕が満たされている中で、は二度と僕に会えないことを分かっていたから、泣いたのだ。

の部屋で見つけた写真は、いつかジノが僕の部屋から見つけてくれた写真と同じものだった。こちらを見て笑っている少年が、赤ん坊を抱いている。少年は、僕で、赤ん坊は、だ。の写真は僕の顔のところが黒く塗りつぶされていたけど、けれど僕の持っている写真と同じものだった。大切に大切に仕舞われていた写真。僕はそれを大切に大切に仕舞った。


と過ごした日々は、僕が生きてきた中でほんの一瞬だった。その中で彼女が笑ったのも、ほんの僅かだけ。僕はと繋がることに、安心と、愛を感じた。を所有物だなんて勘違いして、縛り付けたのに、僕はなんて愚かなのだろう。ナイトオブラウンズだなんて、単なる肩書きに過ぎないと思った。大切な人を、もう二度と失いたくないと思ったのに、僕はその大切な人でさえ、大切だと気づくことも出来ずに、また、こうして失ってしまった。ユフィは自分を嫌いにならないで、と言ってくれたけど、そんなの、出来っこないよ。を失ってしまって、僕には、何も無くなってしまった。

――ああ、には僕しか、いなかったのに。そして僕にもしか、いなかったのに。


は、死んでしまった。僕の手が届かない、はるか遠くのところに行ってしまった。
泣いても、涙は、止まってくれなかった。