スザクは次の日からの遠征を控えていた。場所は西ドイツ、残っている残存勢力を殲滅しに行くのだ。しばらくとは会えない。それが寂しさであるはずはなく、独占欲からなる其れである。自分が居ない間、誰かにを穢されはしないだろうか。気がかりであった。

あらかたの荷物は既にあちらに届いているだろう。荷物といっても軍のほうもランスロットによる殲滅がいち早く終わると踏んで恐らく滞在は二日三日、少ないものだ。現地にはランスロットで直接向かう。国境を抜ける際でさえ、油断はできないからである。つまり前日である今日、スザクはランスロットのメンテナンスが必要とされているのだ。ナイトメア収容庫に向かう彼の足取りは軽やかなものではない。憂鬱だった。理由はよく分からない。から彼女の兄のことを聞いてから、だ。

「…」

収容庫には既に先客がいた。廊下の先に見える入り口から中の光が漏れ出ている。明日の遠征へは、エリア11に滞在しているナイトオブラウンズではスザクだけだ。誰だろうか、スザクは無意識のうちに息を潜めていた。

中にいたのは、最近よく見る少女だった。大きな黒い瞳で、自身の乗る白のランスロットを見上げていた。何故彼女がここに居るのかとか、何をしているのかとか、スザクには疑問になる節がいくつかあったものの、それをすぐさま口にして、また彼女の怯えた表情を見ることはしない。は、そ、と瞳を細めた。

「…っ、枢木卿…」

スザクが声をかけるよりも早くが彼を見つける。何か、愁いを帯びたような、何かを秘めていた瞳はいつのまにか怯えているように下に向けられた。にとってスザクはいつまでもいつまでも怖い、ものなのだろうか。

「何してるの」

「…あ、いえ…、その…」

ランスロットに触れそうであった白い指先はすぐさま引っ込められての胸の前で強く握り締められている。

「…たまたま、通りかかって…、それで」

段々と声音が小さくなっていく小さな少女に、スザクは目を細める。最近、は何かを調べているようにも見えた。探っているような、そんな瞳をたまにスザクへ向けるのだ。それがスザクは、嫌で仕方なかったのである。

「用がないなら戻れ」

「…はい」

きつく言い捨てるとは分かりやすく沈んだように肩を竦める。そのまま頭を下げてそこを去ろうとするだが、すぐに何かを思い出したように顔を上げた。丸い翡翠は白のナイトメアに向けられていた。

「…あの、枢木卿」

「…」

「明日から、西ドイツに行かれると聞きました…」

そこで初めてスザクとの視線が交わる。少しだけ驚いたように丸くなった翡翠もすぐに冷たい色を灯した。また一体どこで耳にしたのか。そういった風にスザクが息をつけば慌ててが頭を下げた。申し訳ございません、だなんて聞き飽きた台詞である。

「だから?」

「…あ、あの、…」

口を開いてはつぐむ、その桃色の唇を見つめる。はぎゅう、と自身の手を握り締めた。

「…どうか、…ご無事で」

消え入りそうな声ではそう告げるとまた大きく頭を下げた。が自ら口を開くだなんて何事かと思えば、この言葉。慌しく踵を返そうとするの腕を強く掴んだ。

「っ、」

の瞳が大きく見開かれた。これは、そう、行為の前に見せるような怯えた瞳。

「く、枢木卿…っ、」

細い二の腕をぎりぎりと握り締める。の表情が痛みにどんどんと歪んでいく。スザクにはよく分からなかった。この気持ちが何なのか。苛々するし、胸が痛くもなる。怯えるだけのが、スザクの命令には泣きながらも素直に従うだけのが、自分の無事を、祈った。今までただの所有物であるだけだったからの言葉に、スザクは正直動揺していた。同時に所有物であるだけの彼女に心配されたという、下劣な劣等感。

「誰に言ってる」

低く問えばの瞳にまた、涙が浮かぶ。一等兵なんかが、ナイトオブラウンズに無事の言葉を告げるなんて、図々しい。おこがましい。はじんわり滲んだ涙を必死に零すまいと唇を強く噛み締めた。

「…も、申し訳ございませんっ、もうしわけ、…ございま、せん…っ」

もう少し、力を込めれば今すぐにでも折れてしまいそうな、細い腕。更に力を込めればみしみしと骨が軋むのがスザクは手中で感じた。は決して痛い、なんて言わなかった。自分が悪いんだと、言い聞かせて、思い込ませて、一人で、ひっそり泣くのだ。スザクは多分、それを知ってる。見たことはないけど、スザクには分かった。
ぱっと手を離せば反動で一粒、涙が宙を舞った。はそれがものすごくしてはいけないことのような気がして慌てて頭を下げた。

「早く戻れ」

勢い良くマントを翻せばの震えた声で失礼しました、の言葉が響く。小さな足音はやがて聞こえなくなって、スザクは大きく舌打ちした。