冷たいひとり鬼ごっこ

ルルーシュが部屋から出て行ったのを見届けて、ユーフェミアはゆっくり固まった息を吐き出した。その仕草一つ一つに気品が感じられるところはさすが、といいたいところだが、生憎スザクはそれどころではなかった。
ユーフェミアはそんなスザクを察してか、静かに彼に向き直って一度、瞬きをする。

「…驚いてるの?」

「え、あ…、はい」

「というよりも、信じられない、って顔なのかしら?」

言葉とは裏腹にユーフェミアは実に無邪気な笑みを浮かべる。先程怒号を残して病室を去ったを、ユーフェミアは驚くわけでもなく、怒るわけでもなく、まるで母親のようにため息をついた。そうして、ルルーシュとスザクに告げた内容はにわかには信じがたいもので。
、という人間は実にシンプルな性格をしている。良く言って気高い、悪く言えばただの頑固者だ。面倒くさい言い回しをすることもなく、自分の意見をストレートに相手に伝える。勿論決して彼女は無秩序な人間ではないから、相手を無差別に傷つけることはしない。自分の意見を、きちんとした理由と結論を沿えて伝える。多少それに口調の悪さが際立って相手に誤解を生むこともあるが、基本的に彼女はしっかりした人間だ。
だが、どうもスザクにはそういった実感がなかった。は自分を側近護衛という役職に就けたにもかかわらず、まるでスザクを信用していないかのような言動、桃色の唇から紡がれる罵詈雑言とまではいかないが、それ相応の嫌味の数々。これがスザクでなければとっくに辞職しているだろう。しかし、生憎スザクの方も随分と肝の据わっている男だった。と、いうよりかは彼女に似た性格をしていたのかもしれない。幼少期は喧嘩大将などと、一昔前の漫画でありがちなあだ名をつけられ、(無論、スザクの喧嘩はその名に恥じぬものだった)頑固者だと、留学していたルルーシュにはよく言われたものだ。そんなスザクだからの言葉に怒りを感じても、恐れや不安を抱くことはなかった。やられたらやり返す、それが枢木スザクのモットーなのだ。だからの嫌味の数々もひらり、と交わし不謹慎の粋に達さない言葉で反発する。毎度の口喧嘩はそこから始まるものだった。

ともあれ、スザクはの護衛を勤めてきて半年近くになる。半年間で分かったことは、主である少女は自分のことが嫌いであること、それなのに何故かスザクを護衛から外さないこと、そして本当はという少女は

「さっきのは本当よ?」

「…」

「ふふ、嘘じゃないわ」

「い、いえ!ユーフェミア殿下が嘘を仰ってるだなんて、そんな…」

慌てて否定の意を見せるスザクだが、眼前の優しく微笑むままの少女に、すぐに言葉を詰まらせて顔まで上げていた手をぽすりとシーツに落とした。ユーフェミアの意図がわからない、彼女が嘘を言っているようには見えないし、第一彼女は平気で嘘をつくような人間ではない。けれど彼女の言葉から推測されるが、どうもスザクの脳裏には浮かんでは来なくて、ただ先程怒鳴り散らしていった自身の主にスザクは怒りか不安か、さて何を思えばいいのか分からないのである。

はね、優しい子なの」

「…」

「ただ、感情表現が下手っていうか、…不器用なんだと思うわ」

まるで母親がそうするように、瞳を細めてユーフェミアは微笑んだ。そういうところはルルーシュに似ていると思いませんか、とこちらを見るユーフェミアに、スザクは素直な反応が返せない。ユーフェミアは一度そんなスザクを笑みを消して見つめてから、立ち上がる。

「そうだわ、スザク。」

「はい?」

「病室から出れるようになったらアスプルンド伯爵の下に必ず行って下さいね、絶対ですよ」

疑問符を口から漏らさないようにして、スザクは首を傾げる。まるで悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべて、ユーフェミアは告げた。

「そしたら、に何を買ってくるように頼んだか、聞くんですよ」




一度腕を挙げてから、ルルーシュはその手を引っ込めた。目の前の分厚い扉をノックすることが、どうしてこんなにも躊躇するようなことだろうか。そう自分に言い聞かせてみても、どうも堂々とノックすることが今のルルーシュには難しいことだった。
ユーフェミアの言葉を聞いてルルーシュは慌てて部屋を飛び出した。ユーフェミアは何でも知っているんだ、なんて少しずれたことを思案したあと、ルルーシュはの執務室を目指しながら先程の失言を後悔していた。彼女は言った、は昨日スザクが撃たれてからずっと心配していて、一晩中彼に付きっ切りであの病室に篭っいたらしい。ルルーシュはの泣いた姿を見たことがない、しかしユーフェミアが嘘をつくわけはないので、がスザクが撃たれた直後錯乱状態に近いほど泣いていた、というのは本当なのだろう。あのが、泣いていたのだ。彼女はそれほどまでにスザクを心配していたというのに、自分はなんたる失言をしてしまったのだろうか。と自分は似ているところがある、とルルーシュは自覚している。それはプライドが高いところであったり、意地を張ってしまうところであったりと、とにかく先程の場面でのの言動が何故本物でないと自分は見破れなかったのだろうか。の怒号は、本物ではなかった。ルルーシュには分かる。彼女と似通った部分があるからこそ、更に。あれは意地を張っていただけだと、気づくことが出来なかった。自分も冷静ではなかったとしても、少しに気迫しされていたのかもしれない。
そんなわけで散々自分の失言を後悔したルルーシュは、執務室に着いたはいいが、その扉をノックすることが出来ないままなのである。が怒ってあの場を去った後、必ず執務室に戻っている、という保証はなかったが、第一に彼女が戻りそうな所が。ルルーシュにはここしか思い浮かばなかった。

「…」

ぎゅ、と口角を引き締めて目の前の扉を指で叩いた。小気味いいこんこん、という音の後扉の奥からは機体はしたが、予想しなかったの声があった。

「入れ」

まるで何事もなかったかのような、冷静なの声。部下とでも勘違いしているのだろうか、ルルーシュはそこで敢えて自分だということを告げずに扉を開いた。奥に広がる光景の中、少女の姿は見えなかった。少女の姿は黒い上物の革で出来た大きな椅子に隠れてしまっていた。見えるのは広い室内の中に置かれたソファーと、来客用のテーブルと、書類の山が点々とするデスク。その奥の椅子はこちらに背を向けてしまっていて、ルルーシュからはの姿はこれっぽっちも見えなかった。

「…、」

は来訪者が誰だか分かりもしないくせに、一度も椅子をこちらにはむけないで、窓の奥の景色に目をやっているように見えた。ルルーシュが名前を呼べば、き、と椅子が軋む音がしてはわざとらしく息をついてみせる。

「なんだ、ルルーシュか」

声音に変化は見られない。先程の震えた怒りに満ちた声は何処に消えてしまったのか、いつも通りのソプラノが強弱をつけずに響いていた。

、さっきは、悪かった。」

とりあえず謝らなければ、とルルーシュは謝罪の言葉を口にする。は何のリアクションも返さずに、ただどんな表情をしているのかも分からないまま、ぴくりともしなかった。ルルーシュに見えるのは先に説明したとおり、大きな黒い椅子だけなので、そこに本当に少女がいるのかさえ、分からない。勿論声が聞こえるからそこにいるのだろうが、どんな表情で、何を見つめているのか、ルルーシュには分からない。

「俺も少し気が立ってたみたいだ、…ユフィから聞いた、お前、随分スザクのこと心配していたんだな。何も知らないくせに、あんなこと言って本当、悪かった」

「…、別に、いいよ」

自分で言っているうちにもみるみる罪悪感に襲われるルルーシュに降り掛かったのは、怒りも悲しみも篭っていない声だった。ルルーシュはが今一体どんな表情をしているのか、確認したかった。
ルルーシュとは性格上似ているところがあるせいか、小さい頃にはよく口喧嘩をしたものだった。けれど幼少期のルルーシュは口が達者であったといってものように辛辣な言葉をかけるにはまだ幼すぎて、結局軍配が上がるのはの方だった。勿論、はルルーシュより年下ではあったが、育った環境があって彼より暴言には棘が目立っていた。成長するうちに口喧嘩などは減ったが、時折がキレた際に中々仲直りは出来ずに、結局回りの人間に言われるがまま、ルルーシュが折れることがほとんどであった。今回も謝ったのはルルーシュであるが、その反応にしては、の今の一言はあまりに彼の予想を覆すものだったのだ。

「…わたしも、言い過ぎたと思う。ルルーシュは、優しいからな」

の顔が見えない。その震えている肩も、真っ白になるほど握り締められた拳も、濡れた頬も、紅くなった目も、何もルルーシュからは確認できない。

「今回はお前が謝ることじゃない、わたしが悪かった」

「…

「ユフィと、…枢木にはわたしから言っておく。…――今日は昨日のこともあって仕事が山積みなんだ、悪いが帰ってもらえるか?」

あまりにも感情の篭っていない声で、いや、逆にあまりにもの声音が穏やか過ぎるものだから、ルルーシュは無意識に眉を寄せた。本当に怒っていないのだろうか、怒りを通り越して冷静になってしまったのだろうか、そんなを宥められる自信はルルーシュにはない。けれどここではいそうですか、と引き下がってしまうのは、なんだかよくない気がした。

、」

「聞こえなかったか、帰ってくれ」

名前を呼べば、初めての声音に感情がのせられた。これは、焦燥か、怒りか。ルルーシュには判断できなかった。そのとき初めてルルーシュは、デスクの脇に先程見たばかりのそれが無残な形になって落ちていることに気づく。病室に来た際、が手にしていた黄色い小さな箱。ユーフェミアはきっとがスザクに買ってきたものだと言っていたが。それからソファーの傍に置いてある小さな屑篭に、ぐちゃぐちゃになったケーキが顔を覗かせていた。一口だけ口のつけられたそれは、書類や塵と一緒にひっそり屑篭の中にいた。ルルーシュは息を呑んだ。それから意を決したように、一歩歩みだして、デスクへ近づく。先程のの声を最早忘れてしまったルルーシュは、心配そうにその椅子に手を掛けた。ぎい、と椅子が少しだけ回転する。の栗色の髪の毛がふわり、と揺れた。

「…帰ってくれ」

はこちらを決して見なかった。ただ窓の奥に投げた瞳は紅く、乾ききらない涙を見せている。長い睫に付着した水滴は、が一度瞬きするごとに白い頬へと落ち、ゆっくりそれは曲線を描いて輪郭をなぞる。
はもう一度だけ、口を開いた。

「帰ってくれ」

ルルーシュは少女の腫れた瞳を見て、が泣いている、という事実に結び付けるまで少しの時間を要した。それから静かに後退して、部屋を後にする。にかけるべき言葉が、ルルーシュの中になかったのである。