兄妹、とは一体何処まで似るのだろう。
親と比較しないのはまず、親と子より、子と子の方が血縁関係が濃いことからである。たとえば脊髄移植にしたって、血液型の一致だって、親より同じ血を分けた子と子の方が合致する可能性が高い。見た目や性格だって、親より子と子の方が似ている率も高いからだ。
話が少し逸れたが、とにかく一体兄妹とは何処まで似るのか、いや、似ている場合と似ていない場合はどちらが可能性として高いのか。何故だかそんな医学的な疑問を抱いてしまった自分を自嘲して、折原臨也はうんざりとため息をついた。
「だからー、あ、先輩ちゃんと聞いてます?」
「聞きたくもないのにこうも執拗に右耳から雑音が入れば、無視は出来ないよ」
「雑音?え、わたしの話がですか?もー、せっかく来神学園受かったって報告に来たのに」
そう言って臨也の部屋のソファーを堂々占領する少女は、まだ中学生用のブレザーとスカートを見に纏っていた。3月の終わり、彼女は念願叶って臨也が在籍する来神学園に合格した。けれど臨也は今年度卒業であるから、彼らが同じように登校することはない。少女はそれをこの世の終わりみたいな顔をして、残念だ、と言っていたが、結局は臨也が通っていた学校に行ける、というだけでいいらしい。桜が漸く蕾を見せ始めたと言うのに、今日は天気予報どおりの冷え込みだった。こんなに寒くちゃせっかく桜が咲き始めてるのに、また蕾に戻っちゃいますね、とは先ほどの少女の言葉である。
「とにかく、これで先輩と同じ学校に通えるんですよ!」
「俺はもういないけどね」
「それでもいいんですー、あ、先輩って一年の頃何組でした?ていうか席の場所教えてください、あ、それより先輩が使ってた席、今どこにありますか?わたし、入学したら先輩の使ってた机と椅子が使いたいなあ」
まるで嵐のように勝手にそう喋くって、少女は嬉しそうに頬を染めた。それだけなら。それだけの行為なら今目の前に座っている少女は可愛い、という部類に入る容姿をしていた。こげ茶色の長い髪の毛、大きな瞳、白い頬。しかし機関銃のように口から発せられる言葉をこうも長々と聞いていれば、途端に自然と少女の可愛らしい風貌には、ただの五月蝿い餓鬼、という名のフィルターがかかることだろう。そう、この折原臨也のように。
「漸く本当の先輩と後輩ですねっ」
「…、君さあ。いっつも思うんだけどどうやってここまで来てるの?」
ふと、臨也は唐突にそんなことを聞いた。これ以上彼女の話を聞いているのが面倒であるからでもある。少女はきょとん、と目を丸くしてから何をそんな当たり前のことを、と言わんばかりの表情を見せた。
「どうって、普通に歩きとか、チャリですけど」
「いやいや、そうじゃなくて」
「?」
「ああ、質問を変えよう。…なんて言って家を出てくるだい?」
そう、それは長年抱えていた疑問でもあった。臨也は彼女がどうしてここまで無事にやって来られるかが不思議でならなかった。別段来るまでの道のりに、険しい谷だの山だのがあるわけではない。少女はまたしても何を言ってるんだ、と不思議そうに首をかしげた。
「先輩のところ行って来るって、言ってますけど」
「…よくそれで、お兄さんは何も言わずに君を外に出すね」
「ああ、そういうときは追いかけっこですよ」
お兄ちゃん足長くて走るの早いし、撒くの大変なんだよなあ、と少女は思い出したように呟いた。
そう、彼女は臨也がこの世で一番嫌いな、平和島静雄の妹である。お兄ちゃん、というのは紛れもなく平和島静雄その人のことだ。臨也の疑問はそこにあった。静雄も自分のことを殺したいほど大嫌いであるのに、大事な大事な妹をよくもそんな男のところに来させるものだ。しかし、あながち臨也の予想は間違ってはいないだろう。この少女が自分のところへ来る際、毎度毎度の追いかけっこを繰り広げているであろうということは。静雄は幽も含め、彼女が大切で仕方ない。最早それはシスコンの域に達するんではないかというほどである。だからこそ、自分のところへ大事な妹が行くだなんて、許せないに決まっている。と、臨也は踏んでいるのだ。
「シズちゃん、君に関してはものすっごーくシスコンだよね、もう笑っちゃうくらい」
「そうですかねー、ま、お兄ちゃんは優しいし大好きですけど、勿論幽も」
「それで君は俺と君のお兄さんがお互い殺したいほど嫌いなのは知ってるよね?」
「勿論ですよー、お兄ちゃんからいつも先輩のこと、聞いてますもん」
さて、冒頭の兄妹なんちゃらの疑問とやらは、勿論この少女に対するものである。平和島兄妹は面白いくらい三人揃って性格の類似点が見つからない。まず長男の静雄の沸点の低さは弟と妹には引き継がれていないし、幽の寡黙な性格も妹と兄にはない。そして一番下の妹のこの掴みどころのない性格も、上の兄にはない部分であった。無論、三人揃いも揃って整った顔つきをしているところだけは、似ているが。
「そのくせに毎度毎度俺のところに来るわけだ」
「はい、だって先輩のこと好きですからっ」
「お兄さんは何も言わないの?」
「言いますけど…、兄とはいえ人の恋路は邪魔させませんよ」
実に軽い口調でそう告げた少女に臨也は一度彼女から視線を外した。なんでこんな女に好かれてしまったのだろうか。学校内にいれば確かに声を掛けてくる女子生徒もいたが、ここまでしつこいのは彼女だけだ。しかも彼女は臨也の言動をひとつひとつその目にした上で、こうして好きだ好きだと言うのだ。ちょっとおかしいんじゃないか、とも思ったがそれは同時に自分をも卑下している気がして臨也は時折感じるそんな感情は一切無視している。高校に入って、面白そうだと声を掛けてみた男はこれ以上なく、面倒くさいもので。今すぐにでも消してやりたいのに中々消えてくれない。唯一嫌いな人間。そんな男の妹に、こんな歪な愛を頂戴するなど、誰が知りえたことだろうか。
「大体、何で俺なの」
「え、かっこいーからです」
「顔?」
「嘘ですよ、顔もですけど全部好きです、全部」
この女の考えていることが、臨也には分からなかった。そう、三人の類似点はもうひとつ。彼らの動向が臨也には全く読めない、というものだ。静雄は面倒くさい単細胞であるし、幽の考えていることは掴めない。一番社交的な性格の彼女でさえ、その笑顔の奥に隠した何かは臨也には分からなかった。こいつは変わっている、上の兄二人も相当な変わり者ではあるが、臨也個人としては、この少女が一番"人間外れ"な存在だと認知していた。
「君はどこまで俺のことが好きなの?」
「だから、全部ですって、ぜーんぶ」
「お兄さんのことはどのくらい好き?」
「全部ですねー」
「そう」
じゃあもし俺とお兄さんのどちらかを殺せって言われたら、君はどうするの?
臨也の瞳が僅かだが、細められた。勿論、このあと臨也の予想通りの"一般的な答え"が返ってくるとも毛頭思わなかったが、その場合の彼女の答えには興味があった。臨也が彼女を人間外れ、だと感じるのは、彼女があまりに歪んでいるからである。
「えーと、それは無理ですね」
「絶対、って言われたら?」
「うーん、自分が自殺するって選択肢はありますか?」
「ほう」
「お兄ちゃんも先輩も失いたくないですもん、どうしても殺すしかないっていうなら、不本意ながら、自殺、ですかねー」
少女はあまりに無邪気に笑った。
「それじゃあもうひとつ質問」
「はーい」
「俺のこと、そんなに好きっていうなら、俺に何されてもいいの?」
「何って?」
「そうだな、たとえば君をボコボコにしたり、その綺麗な髪の毛を切り刻んだりとか?」
言えば少女は至極不思議そうな表情を崩すことなく、そうですね、と笑って見せた。
「わたしは先輩になら何されてもいいんですけど、先輩はそんなことできませんよね」
仮面のような笑み、ではない。本当に心のそこからの笑みが少女の面には貼り付けられていた。だからこそ、臨也は眉を潜めた。本当に、この女は読めない。
「どうしてそう思うんだい」
「…、先輩が悪人ではないから、ですかね」
そして少女はあまりに上手に嘘をつく。何もかも見透かしたような瞳を見せた後、誰もが彼女を信じ込んでしまいそうな笑みを見せて平然と嘘をつく。彼女はどこか臨也自身に似ているところがあるのだ。残念ながら臨也のような人間は同属嫌悪が激しいタイプであるから、彼は彼女を苦手とするのだが。臨也は人、つまり他人を愛してはいるが、それは他人であることを前提にした人であって、彼女のような自分と同族の人間は残念ながら好きにはなれない。彼女はそれを知っている、知っていて、こうやって臨也に愛を囁き続けるのだ。
「ふうん、それじゃあ今君をここで押し倒して、滅茶苦茶にしてもいいのかな?」
「めちゃくちゃ、ですか」
「これならさっき挙げたことより全然俺は罪悪感に苛まされることもないし、何よりシズちゃんの嫌がらせとしては持ってこいだと思わないかい?」
「先輩にならわたしの初めてあげてもいいですけどね」
少女の短いスカートから伸びる白い足が妖艶さを纏って組みなおされた。まったく自分より3つも下だというのに、たいした色気である。臨也は漸くパソコンの前から立つと、少女の座るソファーの前に立ちふさがった。少女に注ぐ光が遮られ、臨也の影の下で黒い大きな瞳が不思議そうに彼を捉えている。
「ねえ、俺のこと、好き?」
「さっきから何度も言ってますよ、好きです」
「本当に?」
「本当です」
「残念、俺は君の事は好きじゃない」
「それでもいいです」
「君、変わってるよ」
「先輩は、わたしの初恋なんです、わたし、恋って初めてなんです」
「歪んだ初恋だなあ」
黒いセーラー服の襟元をずらすと、真っ白な、白魚のような肌が相反する黒の布から覗く。そのコントラストが淫靡だと心中で呟いて、臨也はゆっくり少女の上に跨った。抵抗はない。少女はうっそり微笑んでいる。
「…こんなに俺のこと愛してくれる人なんて、この先会えそうもないなあ」
「先輩、自覚あるんですね」
「だからこそ、君とはもっと別の世界で会いたかったよ。たとえばシズちゃんのいない世界で、とかね。そうすれば俺はもう少し君と正面から向き合えただろうに」
「お兄ちゃんがいなきゃわたしはいませんよ?」
「そういう問題じゃなくて、仮定の話。イフね、イフ」
長い髪の毛を耳にかければ、今度は真っ白な細くて頼りのない首筋が臨也の眼前に晒される。それにそっと唇を寄せれば、少女は臨也の見えないそこで、綺麗な笑みを浮かべた。
「そうですね、でもわたしは先輩がいれば、いいです。先輩がいるなら、どんな世界だっていいです。」
少女はあまりにも嬉しそうにそう呟いた。
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